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旭川演劇史の〝聖地〟に誕生する手作りの小劇場

2026年06月08日

「錦座」こけら落としの3年後、大正12(1923)年の旭川文化協会演劇公演。詩人の小熊秀雄、旭川音楽大行進の生みの親・町井八郎らが参加し、イプセンの「人形の家」、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」など3作品を一気に上演して好評を博した。(旭川市中央図書館蔵)=画像8

那須敦志(旭川郷土史ライター)

(1)はじめに

 旭川で今月(2026年6月)下旬にオープンする新しい小劇場があります。
 名称は「旭川銀座小劇場シアターロビン」。地元で演劇活動をしている有志による手作りの劇場です。
 この新劇場の所在地、実は明治時代の末には芝居小屋が建ち、大正時代には3階建ての本格劇場が開設された旭川の演劇の歴史を語るうえで欠かすことができない場所です。
 いわば地元演劇史の〝聖地〟に新たな劇場が誕生することになりますが、中心メンバーはこの場所に劇場を作ると決めた際もそのことを全く知りませんでした。
 このため筆者としては、演劇の神様がなにか粋なはからいをしてくれたように感じています。
 この稿では、新劇場の開設決定に至った旭川の演劇及び劇場事情に加え、劇場所在地の歴史的な変遷についてご紹介します。

(2)旭川の演劇及び劇場事情

手作りの新劇場

 「旭川銀座小劇場シアターロビン」は、旭川で演劇活動をしている社会人有志が協力して開設を目指している演劇専用劇場です。
 名称にあるように、新劇場の所在地は旭川の下町である銀座通のシンボル、銀座センタービル(通称銀ビル)の地下。以前蕎麦店が営業していた場所です。
 客席数は約60で、6月20日(土)からこけら落し公演が行われます。

画像1 開設準備中のシアターロビン

演劇専用劇場のない悩み

 旭川は以前からアマチュア演劇や高校演劇の活動が盛んな土地です。
 しかし市内にあるのは数百人規模の公的ホールだけで、演劇専用の小劇場はありません。
 こうした大規模ホールは設備面では充実していますが、経済的基盤の弱い地方のアマチュア劇団にとっては使用料の負担が大きく、気軽に利用できないのが実情です。
 また演劇専用ではない小規模スペースでは、費用は抑えることはできますが、舞台構造や照明などに制約が多く、自由な演出が難しいという課題があります。
 以前は有志が費用を出し合い、古い雑居ビルの一室を稽古場兼劇場として運用していた時期もありましたが、客席は約20席と狭く、現在は閉鎖されています。
 このように、規模、費用、設備、いずれの面でも適当な発表の場を確保しにくいことが、地元の演劇関係者の共通する悩みとなっています。
 それだけに客席数約60という今回の演劇専用劇場の計画には多くの関係者が賛同し、蕎麦店だった頃の什器の撤去や壁の塗装(劇場なので内部は黒一色です)などの作業には多くの人が力を合わせました。

画像2 シアターロビンが入居する銀座センタービル

(3)劇場所在地の歴史的変遷

明治末〜大正中期

 さてこの新劇場の開設準備が進む場所、旭川の演劇の歴史を語るうえで欠かすことができない所と冒頭で書きました。
 その銀座センタービルのある場所(旭川市3条通15丁目左1界隈)に最初の芝居小屋、大黒座が開場したのは、明治41(1908)年。なんと今から120年近くも前の事です。
 もともと現在の銀座通のある旭川市3〜4条通15丁目界隈は、市の中心部と明治20年代に相次いで開設された永山、東旭川、当麻の3つの屯田兵村を結ぶ交通の要所でした。比較的早くから商店などが建ち並び、人の往来も盛んだったことから早い時期に劇場ができたと思われます。
 当時旭川には、明治31(1898)年開場の本格劇場である佐々木座(2条通6丁目)、大国座と同じ41年開場の祐徳座(3条通8丁目)、そしてこの大国座の3つの劇場があるのみでした(他に寄席が数軒ありました)。
 その後、大国座は、演芸館、立花座、大黒座と経営者や劇場名が変遷し、大正中期に至ります。

画像3 明治42年の現銀座通(4条通14丁目右10号界隈)(「まちは生きている 旭川市街の今昔」より)

錦座の時代

 ここで登場したのが、函館を本拠地とする大物興行主で錦座チェーンの座主、岩見永次郎です。
 札幌、小樽に続いて彼が狙ったのが旭川進出で、大正9(1920)年、大黒座を買い取って本格劇場に大改築、名称も(旭川)錦座と改めます。
 この錦座、高さ54尺(約16メートル)、奥行き24間(約44メートル)の3階建ての大劇場でした。舞台は間口(幅)が12間(約22メートル)、幕尻(舞台の奥行き)が9間(約16メートル)で、6間半(約12メートル)の回り舞台まで備えていました。

画像4 岩見永次郎(「北海道映画史」より)
画像5 錦座(左端)と現銀座通(時期不詳・絵葉書)

 以来、錦座は本格劇場としては陰りが見えてきていた佐々木座に取って代わり、旭川を代表する劇場となります。
 その手始めとして世間をあっと言わせたのが岩見によるこけら落としの興行でした。
 大正9(1920)年9月に行われたこの興行は、当時の歌舞伎の名優、二代目市川左団次と七代目松本幸四郎が競演するという、東京でも過去に一度だけしか実現していないファン垂涎の舞台でした。
 この時の(旭川)錦座にかける岩見の意気込みは凄まじく、松竹の東京本社に自ら乗り込んでの1か月に渡る交渉の末、ようやく実現した座組と伝えられています。

画像6 錦座こけら落とし公演の新聞広告(大正9年・旭川新聞)

 なお二代目市川左団次は、明治末に始まった歌舞伎の革新運動、新歌舞伎運動の中心人物です。近代演劇の影響を受けた新しい歌舞伎の創造を目指したほか、劇作家、演出家の小山内薫と自由劇場を創設し、翻訳劇などにも挑戦した人で、日本の演劇史を語るうえで欠かせない俳優です。
 一方、七代目松本幸四郎は、ミュージカル「ラ・マンチャの男」などで知られる二代目松本白鸚の父親です。「勧進帳」の弁慶を生涯で1600回演じたことで知られるほか、二代目左団次ほどではありませんが、日本初の創作オペラに出演するなど歌舞伎の枠を超えた活動も行った名優です。

画像7 二代目市川左団次(左)と七代目松本幸四郎

 この他、錦座での公演で有名なのは、こけら落としの3年後、大正12(1923)年に行われた旭川文化協会による演劇試演です。
 旭川文化協会は、市内で活動する新聞記者、文化人、実業家ら有志がこの公演のために結成した団体です。当時、旭川新聞の記者だった詩人の小熊秀雄や、旭川で今も続く音楽大行進の生みの親として知られる町井八郎らが参加しました。
 公演では、イプセンの「人形の家」、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」など3作品を一気に上演して好評を博しましたが、メンバーの中に本格的な演劇経験者はほぼ皆無という事実上旭川初の住民劇でした。

画像8 旭川文化協会演劇公演の参加者(大正12年・旭川市中央図書館蔵)
画像9 旭川文化協会演劇公演の舞台写真(大正12年・「秋色清香 追想 重井鹿治 しげ子」より)

芥川龍之介や岡田嘉子も

 さらにこの後、錦座は、北海道進出を狙う松竹との交渉の末、小会社の松竹シネマの直営館となり、名称も松竹錦座、松竹座と変遷します。
 松竹錦座時代の昭和2(1927)年には、東京の出版社主催の文芸講演会が開かれ、来旭した作家の芥川龍之介と里見弴(有島武郎の弟)が登壇しています。
 なおこの時の会場には当時芥川に似ていると言われていた小熊秀雄も駆けつけています。
 一方、昭和4(1929)年には、のちに樺太、今のサハリンの国境を越えて当時のソビエト連邦に亡命したことで知られる女優、岡田嘉子の一座が3日間の公演を行っています。
 この時期の岡田嘉子は、映画の撮影中、共演した俳優の竹内良一と失踪するという〝事件〟を起こして日活を解雇されたあと、一座を構えていわゆるドサ周りをしていました。
 旭川での公演にはその後、嘉子と籍を入れた竹内も参加しています(嘉子はこの後、もう一度、旭川を訪れています。亡命のために樺太に渡る前で、駅前の旅館に一泊しています)。

画像10 岡田嘉子と竹内良一の来旭を伝える記事(昭和4年・旭川新聞)

松竹座時代と劇場の終焉

 このほか松竹座時代の昭和8(1933)年には、日本放送協会旭川放送局(現NHK旭川放送局)の開局記念の実演会が開かれています。東京から招かれた劇団が「レビュー、バラエティ全六景」と題した舞台を披露、その模様は全国にラジオ中継されました。
 このように華やかな歴史を刻んだ錦座でしたが、松竹キネマの直営となって以降は、活動写真(映画)の上映と講演会などイベントの開催が中心となります。
 このため演劇の公演は少なくなり、昭和18(1943)年には映画専用館となり、旭川松竹映画劇場と改称しています。
 そして戦後間もない21(1946)年12月、火災により建物が全焼、錦座以来の本格劇場は終焉を迎えます。

画像11 旭川放送局開局記念実演会の模様(昭和8年・「道北のくらしと旭川放送局50年」より)

銀映座から銀ビルへ

 この地に新たな映画館が建ったのは少し間が空いて昭和30(1955)年のことです。
 オーナーは旭川を拠点に大物興行主として全国にその名を知られた本間誠一率いる本間興行で、銀座映画劇場(銀映座)と名付けられました。
 ただこの銀映座は昭和41(1966)年7月には閉館。同じ年には通りのシンボルとなる銀座センタービル(銀ビル)がお目見えしています。
 このようにこの場所は旭川の演劇の歴史における〝聖地〟であり、長く人々が集う場所でもありました。
 その場所で再びともった演劇の〝灯〟。長く親しまれるよう筆者も微力ながら支援していきたいと思っています。

画像12 錦座と現銀座通(昭和4年・絵葉書)

(追記)
 劇場の設備の充実を目的に5月に行われたクラウドファンディングでは、全道各地、さらには本州からも160件を超す支援が寄せられました。
 集まった資金は、目標の200万円を大きく超える260万円あまり。今回の取り組みが多くの人の共感を呼んだ結果だと思います。
 なお6月20日からのこけら落し公演には、旭川をはじめ、滝川、札幌、そして函館から合わせて8つの劇団が参加することになりました。
 さまざまな地域の演劇人が関わり合って、オムニバス形式で一つの作品を作るというこけら落しとしては極めてユニークな公演です。
 劇場の運営メンバーは「たくさんの方々と一緒に劇場を始め、継続していけるようにという思いを込めて、この企画を最初の公演としました」としています。
 日程などは以下のとおりです。
■旭川銀座小劇場シアターロビンこけら落とし公演「旭川豆芝居2026『多面体』」
◆前半戦
 2026年6月20日(土)19:00〜 6月21日(日)13:00〜
◆後半戦
 2026年6月27日(土)19:00〜 6月28日(日)13:00〜
◆出演団体
〈前半戦〉演劇ユニット à la carte(旭川)/劇団TomTom-Kiror & 演劇チーム架け橋(旭川)/演劇ユニット41✕46(函館)/ルセイロメガネ(旭川)/劇団ソライロ(旭川)
〈後半戦〉演劇集団シベリア基地(旭川)/ポケット企画(札幌)/演劇集団:森組(滝川)/ルセイロメガネ(旭川)/劇団ソライロ(旭川)
◆料金 前売2000円 当日2500円 学生1000円 通し券3500円

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