• 芸術文化日録(AtoCジャーナル)

北海道新聞が今月末で夕刊廃止

2023年09月01日

 北海道新聞が9月末で夕刊の発行を終える。一部メディアで報じられていたが、この日の朝夕刊で読者に初めて伝えた。〈新聞用紙をはじめとする原材料費の高騰や輸送コストの上昇などから、これまで通り夕刊を発行し続けることが難しくなりました。読者の皆さまのライフスタイルの変化、デジタル社会の進展などを踏まえ、紙面のお届けは朝刊のみにさせていただきます〉。時が来た、ということ。
 道新朝刊の《各自各論》。北大公共政策大学院の山崎幹根教授が「北海道は『希望の国』か」の題でに寄稿し、村上龍の『希望の国のエクソダス』(2000)を引用している。『希望の国―』は、集団不登校を起こした数十万人の中学生が13市町村が合併してできた道央圏の野幌(ノホロ)市に脱出(エクソダス)するお話。〈北海道からのエクソダスではなく、北海道へのエクソダスを現実のものとするためには、北海道に「希望」があるかどうか、そして、その実現を誰が担うのかが問われている〉と結ぶ。考えてみれば、明治の開拓もまた、本州以南のそれぞれの「地元」からの脱出であったのかもしれない。現実を直視してなお「希望」であったのかどうかは、その人によるのかもしれないが。
 道新夕刊のカルチャー面では、北海道博物館で開催中の「北の縄文世界と国宝展」の関連で、任期ユーチューバー「週末縄文人」による展覧会取材の様子を紹介している。マニアックな縄文ファンとのコラボレーションで展覧会を盛り上げようという苦心賛嘆。
 同じ紙面の《まんが最前線》では、松本いっか『日本三國』を紹介した(雑賀喜由)。北日本は【聖夷】、東日本は【武凰】、西日本は【大和】と、三つにわかれて覇権を競っているとの設定。日本という国は、北と南で気候も住む人たちの気性も大きく異なる。『希望の国―』と同様に、いくつかの異なる勢力が割拠していてもおかしくない島であることを思い起こさせる。信長、秀吉以来の「天下統一」という常識を、疑ってみるのもいいかもしれない。
 朝日新聞朝刊の文化面《災後のことば 100年前の文学・言語から(上)》。菊池寛は関東大震災当時に〈「震災に依って文芸などは贅沢品だという事を痛切に感じました」〉と新聞に寄稿した。この「芸術無力論」に対し、芥川龍之介は〈芸術は生活の過剰だそうである。(略)しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らねばならぬ〉と批判する。かみ合わない議論ではあるが、阪神・神戸や東北の大震災にあっても、歌舞音曲を「不謹慎」とするか「生を潤すもの」とするかは論じられた。おそらくはこれから

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