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「目からうろこ」のKitara話―宮部光幸さんの講演を聴いて
2026年03月14日

前川公美夫(元北海道新聞文化部長/札幌市民芸術祭実行委員)
設計者・宮部光幸さんの話が聴けるというので2026年1月22日午後、雪の中をKitaraに向かった。Kitara職員の研修会を宮部さんの周囲の人たちも聴講させてもらえるという計らいで、楽屋口玄関には10人ほどが集まり、会場の大リハーサル室へと案内を受けた。
北海道大学工学部建築工学科の学生時代、1学年上の宮部さんはスケールの大きな建築論を語る人で、卒業後は設計のエキスパートとして仰ぎ見る活躍ぶりを見せていた。
私の方は、オーケストラ活動にのめり込んだ果てに音楽関係の仕事ができればと北海道新聞社に入り、事業局で国内外音楽家や札響の演奏会を手掛けたあと記者に転じた。文化部でも音楽を担当し、Kitara開館の1997年当時はデスクとして関連記事の出稿に当たった。そして大・小両ホールで聴くこと・演奏することを堪能するのみならず、Kitaraクラブの会報で宮部さんの対談相手にお呼びを掛けていただいたりもした。
Kitara開館での私の一番の関心事は、札幌の音楽マーケットがどう変わるかだった。『札幌芸術文化年鑑』のクラシック演奏会記録を元に開館直前の96年と開館4年後の2001年を比べた試算の結果、演奏会本数で3割増、入場者数6割増、チケット売り上げも5億円から8億円へ6割増となっていた。年間8億円の売り上げがあるものを探すと、知内のニラが近かった。30年後のいま、先方は17億円規模に伸びているが、こちらは地元音楽事務所の減少やコロナ禍の影響もあるか、やや縮小しているだろう。
さて、この日の宮部さんの講演から、まずはこの日初めて知ったことを取り上げたい。
コンペに提出された6つの案のうち3つは南側を正面とするものだったという。現実の、中島公園の池に向けて東面している姿を30年も目にしていてその話を聴くと、立地をいま以上に生かせた案はないと納得させられる思いがした。
裏話からさらに2つ。
大ホールの「天井」は、通常は音の面だけからとらえて軽い材料で造るところを、裏に設置する電線ケーブル保守の足場とする「床」とも位置付けてプレキャストコンクリート製とし、製作に際しては同じ型枠を位置をずらしながら繰り返し用いることで、総額190億円の当初見積もり額中の10億円を3億円に減らすことができたという。
震度は8.5まで大丈夫なように設計してある。窓のアルミサッシは断面に通常設けられる空白部分まで全てをアルミで埋めて強度を出し、製作会社における地震発生装置での試験の結果、震度9でも壊れることはなかったという。
そうした「目からうろこ」話の前段として、札幌の音楽史にからめてKitaraのデザインに取り入れた歴史的モチーフについての話があった。ここでは、当日の話をはみ出す部分もあることにお許しを願いつつ、私なりにその両者を関連づけてみたい。まずはKitaraの中の歴史的モチーフから。
北大農学部に向かって右側にある昆虫学・養蚕学教室ほかの初期洋風建築の意匠は小ホールに生かされた。
開道50年記念北海道博覧会(1918)で中島公園池畔に設けられた音楽堂の天蓋は、大ホール入口に形を楕円形にして取り込まれている。また豊平館正面車寄せ上のバルコニーはその低い手すりも含めて大ホールの階段踊り場の屋外に生かされ、丸井今井本店一条館の縦長窓は大理石に縁どられた細長い窓に反映された。

1918[大正7]年の開道50周年記念北海道博覧会で中島公園内に建てられた音楽堂に想を得ている
右は絵ハガキ(同年/札幌市公文書館所蔵)の一部


1926[大正15/昭和元]年に竣工した今井百貨店(現・丸井今井)一条館の二連細長窓をイメージしている
右写真は1927[昭和2]年2月刊行の『北海道写真』(発行:株式会社今井商店、株式会社藤武良商店、株式会社今井醸造所)より
それぞれに関わる音楽史を3つの流れで取り上げたい。宮部さんは拙著『北海道音楽史』も材料にしながら音楽史の流れを大局的にとらえていたのだが、ここでは人物や団体個々の活動紹介を柱とした拙著の造りに即して話を進めさせていただく。
1つ目は「どんぐりころころ」の作曲者梁田貞や札幌師範学校ほかで教えた工藤富次郎に代表される学校教育の世界、2つ目は無声映画の楽隊としても活躍した市中音楽隊の世界、3つ目は北大生の音楽世界である。それぞれは互いに結び付きながら活動し、そこに市民の音楽団体もからんだ。
明治30年代初め、梁田少年は大通公園北側の西1丁目にあった豊平館から流れてくる軍楽隊の音に胸を高鳴らせて音楽の道を志した。開道50年記念博覧会の奏楽堂で演奏した札幌音楽隊の有志らによる市民のオーケストラを会場提供などで支えたのは豊平館の杉山正次だったし、後に東宝映画の初代社長となる北大農学部生の植村泰二らの流れをくむ札幌混声合唱団も豊平館で活動を続けた。また昭和9年(1934)には今井記念館で、共に北大文武会管弦楽部の伊福部昭や工藤富次郎の長男・元、働きながら作曲していた早坂文雄、海外とのやりとりを担った三浦淳史らによる新音楽連盟が世界の先端を行く曲目で「国際現代音楽祭」を開いた。Kitaraに生かされたモチーフは、音楽史を彩るこうした出来事を今に伝えているのだ。
前川のKitaraの楽しみ方
大ホールで一番好きな席はPブロック上手(正面客席から見て右側)の、舞台すぐ右にある2列4番である。オーケストラを左後方から見るのは自分がファゴットを吹く時の位置関係と同じで音のバランスに慣れており、指揮者も奏者たちもよく見える。この席に限らずPブロックや3階で聴くことが専らなのだが、1階正面の席でピアノリサイタルを聴いた時には、横方向のステレオ効果満点のこのホールで、この位置だと縦方向の立体感もこんなに味わえるのかと驚いた。
初出:宮部光幸『キタラ内部研修レクチャー記録 20260122』(私家版)に若干の加筆を施した