• 芸術文化日録(AtoCジャーナル)

ラピダス報道に違和感

2023年09月30日

 連日紙面を賑わしている「ラピダス」記事に微妙な違和感を覚えている。30日朝刊の1面は「ラピダス電力60万キロワット」の大見出し、「道内需要の1〜2割」「安定調達 北電と協議」の見出しが踊った。要するに千歳に建設中の工場が稼働すると電気を食う。北電はそれに間に合わせるべく投資する、との趣旨だ。量産を開始すると、ラピダスは道内電力需要の大きな一画を担うことになる。これは北電の特上のお得意様が出現することに他ならない。
 北電にとっては、泊原発3号機の再稼働に追い風となる。60万キロワットといえば、1号機、2号機の定格出力に匹敵する。1〜3号機ともに東日本大震災を受けて停止・点検中で、現時点では再稼働の見通しが立っていない。ラピダス工場の稼働で電力が逼迫する可能性が出てきて、大義名分が立つと考えるのは、企業体としては当然のことかもしれない。しかし、である。
 違和感の正体は、半導体の「産めよ増やせよ」が「国策」であることだ。経済産業省が2021年6月に公表した資料「半導体戦略」には「日の丸半導体」なる言葉まで明記されている。米・中・欧州・台湾・韓国が、いかに半導体製造に投資してきたかをこと挙げし、国内で半導体を生産する必要性を力説している(83ページ!もある饒舌な資料)。
 読者からは、国家政策に「従順」な北海道(や北電)が、経済産業省の敷いたレールに乗っかってウハウハしている記事に見えるのではないか。北海道の開拓の歴史、炭鉱の歴史と同じことが繰り返されないと、誰が証明してくれるのだろう。ちなみにラピダス側は再生エネルギーによる電力利用を優先したい意向とも書いてある。もちろんこれまでも、北大公共政策大学院教授の山崎幹根が7月29日の《教授陣のマンスリー講座》で、〈ある時代の国際環境や産業構造、政治的な背景の下で打ち出された国策は、いつか失効もしくは変容し、立地自治体は「自立」を迫られるかもしれない。降って湧いたような大型投資案件を持続的な発展につなげられるか。北海道のしたたかさが試される〉と釘を刺した。
 いわゆる記者ものの記事や識者の声でも、国策による工場誘致への警戒は表明されているが、1面記事のインパクトに比べ、いかにも弱い。「国策会社が電気くれと言ったから今日はうれしい再稼働記念日」紙面では、短歌にも悪ふざけにもなりゃしない。「国策ありがたり文化」ってのもあるんじゃないのかい。いつ言おうか、迷っていたが、ちょうど今日は道新夕刊の最終日。こうした文化の是非を「感じ」て、「論じ」ることを「楽し」むことも、立派な「カルチャー」じゃないのかと。
 その夕刊最終のカルチャー面は、「文化、芸能 夕刊で時代映す」の総括紙面。桜木紫乃が「夕刊マダムより愛を込めて」と、いつもながらの愛ある寄稿。《道内文学 創作・評論》の執筆を担当していた澤田展人が「深い考察 これからも必要」と、もっとなエールを送る。65年間続いたコラム《魚眼図》、猫の目のように一貫性を欠いた過去の紙面の移り変わり、映画評や90年代の見開き紙面などにも言及している。私自身が記者人生のうち20年ほどを費やしてきた紙面であることを思うと感慨はあるけれど、感傷はない。朝刊だけになる明日からも、文化は続くよいつまでも。
 朝日新聞朝刊社会面に、池澤夏樹が早稲田大学坪内逍遥大賞を受賞の記事。

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